スペクトラム トピックス

発達障害家族のa whole spectrum of topics(ピンキリの話題)。育児、発達障害,不登校,キャンプ,漫画,時短家事, 等思いつくままに

居場所のなさに追い詰められたあの日のこと

♯学校ムリでもここあるよ! プロジェクトについて書いていた時に思い出した不登校はじめの苦い思い出について書いてみます。

ersg.hatenablog.com

 

不登校をトラブルシュートしようとしていた親

不登校が始まってすぐの時、母は何とか引継ぎを終えて休職に入り、ほっとした気分でもあり、また焦ってもいました。

 

会社と約束した休職期限までに何とかしなきゃ!

転籍でもダメだった場合のフリースクール探して、放課後ディ探して、休んである間はどこか行ったりして楽しく過ごそう!どうせだから自転車に乗る練習とかしよう、アレルギーの病院も探さなきゃ!

 

この時私にとって不登校は、トラブルシューティングでした。

 

結果としてこれは何もうまくいきませんでした。

そもそも家から出たくないくらいのアオを何かで釣って連れ出し、公園やらディの見学やらに連れ出し、何とか「学校以外でも楽しく!」と頑張りました。

しかし結局のところそれは、学校に行けなくなってしまった自分をジワジワと理解しながら、落ち込んでいっている彼に対して、

あれやれこれやれ!頑張って!なんでできないの?!

というマイナスの対応になりました。

 

そうしてある意味意気揚々と不登校児と接していた私は、自分の育児スキルのなさと、居場所のなさに次第に追い詰められていきました。

 

そうこの時求めていた「居場所」は母の居場所でした。

 

行かせるところがない!

フリースクールや放課後ディに見学を申し込んでも、もう一杯なんですと言われたり、あっても本人が気乗りせずに見学にも行けない。

そもそも小学校1,2年を受け入れるフリースクールが少ない。

好きだった児童館からは学校の時間は小学生はだめといわれ、公園に行っても幼児さんしかおらず、楽しいことをしようとするとお金が溶けていく…

収入のあてがないのにお金ばっかり使ってと、遊び上手な夫に叱責され、でも!でも!と言い訳ばかりの日々。

 

毎日どうしようと、家にいてテレビばかりの子供を見るのは嫌、でも一緒に遊んであげるスキルが少なすぎて毎日退屈しているアオ。

でもどこにも連れて行くこともできない、だんだんと、学校にいけないというのは、社会から締め出されていることだと感じるようになりました。

 

ある日、いろいろ考えた末に提案した公営のプールになら行くというので連れて行くと、閉館で入れませんでした。それはただの予定通りの閉館で、スケジュールをちゃんと確認していなかっただけだし、それは自分でもわかっていました。

けれどけれど、私の心が急に限界になってしまい止められませんでした。

 

そうよね!今の時間にくる子なんていないもんね!

 

繰り返しますと公営のプールなので、別段学校の都合を考えているわけではありません。なのに社会からはじかれていると、それだけで頭がいっぱいになってしまいました。あまりにも混乱して細かくは覚えていませんが、アオに言ったと思います。

 

子供は学校に行かなきゃ行くとこなんてないのよ!

 

残念がって文句ばかり言っていたアオがピタリと話すのをやめて、ずんずん歩く私に黙って付き従いました。

 

このまま帰っちゃだめだ。

切り替えなきゃだめだ。

でもどこに…

 

そう思ったとき、私の頭に浮かんだのは「近くに入院している友人」でした。

体調を崩して入院している友人に頼ろうなんて、思えばひどい話なのですが、電話すると友人は受け入れてくれました。アオのことをかわいがってくれる友人と一緒に、病院のカフェでコーヒーを飲んで、アオもアイスを食べて、無理のないように30分ほど付き合ってもらいました。

 

頼れる人がいる。この安心感。これが居場所なんだと気付きました。

 

帰り道、

 

ひどいことを言ってごめんね

 

言ってしまったことは戻せませんが、謝りました。

つないだ手にキュっと力が入り、

 

いーよー、ママの機嫌が直ってよかった。大人も、大変な時あるよね。

 

と言って、不自然に、にっこりとして見せました。

 

 

ママがニコニコしているのが一番い育児。

愛読の尾木ママの本に一杯書いてあるのにな。

この時の私はいつも怒っていたように思います。

 

不登校児の親として一緒に成長していく

この後も「連れ出したい、行き場所を探したい」という思いはやめませんでしたが、すくなくとも彼の様子を見て、ゆっくりすすめようという切り替えはできました。

 

今彼にとって一番安心できるところは「家」です。

保育園児だった昔の彼にとっては「家」は退屈で仕方がないところでしたが、だんだんと変わってきました。

 

彼にとって安心できる「居場所」であること。

彼にとって安心できる「居場所」を探すこと。

 

不登校児の親としてきっと最低限のことでしょう。

しかし様々な背景から、その維持は難しい時があります。

しかしそれを忘れず、成長していきたいと思います。

 

尾木ママ本]